さて日記③では、私が受けたカルチャーショックの例とその要因について紹介しました。そこで皆さんに一つ質問です。もし、私と同じような環境に置かれたらどのような想いを抱きますか。おそらく意見は色々あって、「私も同じような想いを抱く」という人もいれば「そんなことでショックは受けないのでは?」という人もいるでしょう。実はですね、私はタイと日本の文化の違いを知って、自分自身がカルチャーショックを受けていることに気がついた時こう感じたのです。「自分はあまりに短気ではないか?」「何故これぐらいのことが我慢できない?」と、このように自分自身にも腹を立てたのを今でも鮮明に覚えています。
そして、そう感じた時から考えてみたのです。「なぜ私は彼らが持つ文化を受け入れられないのだろうか・・」と。もちろん簡単に答えは見つかりませんでしたが、この国へ来て1ヶ月がたった今、私は自分なりの答えを見つけ出そうとしています。なぜ私は異文化を受け入れられなかったのか・・・それは、自分の体や心に21年間分の「日本文化」が染み付いていたからだと思うのです。私の頭は、彼らが持つ文化を受け入れたいと考えていましたが、無意識に体や心はそれを拒否していたのです。
しかし、よく考えてみてください。これは当然の出来事だと思いませんか?私たちは生まれた時からずっと、日本という国が持つ文化や言語、宗教観を通して教育をされてきたのです。例えば、生まれてからずっと水しか飲んだことがない人間が、急に炭酸飲料を飲んだとしましょう。当然、体は拒否反応を示しますよね。それと同じで私の体や心は突然現れた「異文化」に対応することができなかったのです。すごく面白いと思いませんか?
私たち人間は、いつだって誰かに教育をされながら育ってきました。両親や兄妹、友達や先生、そして大人になれば上司や同僚、仲間から教えられ、支えられながら生きてきましたね。しかし、同時に私たち人間は、その国が持つ文化や言語からも教育を受けていたのではないでしょうか。
私はこの国へ来て現地の人々と触れ合い、時にカルチャーショックを味わうというこのような経験ができていなければ、一生このことに気付けなかったでしょう。文化や言語、宗教が持つ影響力というのは計り知れない、と思いませんか?私は今、そのことを肌で感じています。
少し話が逸れましたが③、④と続けてきた「The カルチャーショック」について、最終章に入りたいと思います。さて、私はどうやってカルチャーショックから抜け出したと思いますか?「時間が解決した」そう考える人も多いのではないでしょうか。実は、そんな簡単な話ではありません。ではどうやったのでしょうか・・・それは「考え方」を変えたのです。簡単にいうと、彼らの持つ文化を受け入れるということを「諦めました」。決してマイナスなことではありません、先程もお話ししたように「受け入れる」から「尊重する」に考え方を変えたのです。
では、具体的にお話ししましょう。私は最初から異文化に「染まろう」としていました。21年間かけて作り上げられた私の中の日本文化を捨てて、タイ文化に染まろうとしていたのですよ。でもこれはやはり無茶な話で、どれだけやっても不可能でした。そこで考え方を変えて、尊重することにしてみました。「あ、その文化いいね」そんな感じです!!例えば、③でお話ししたタイ人が時間を気にしないことについても、「時間に縛られないって素敵だな」「私も時計外して時間から逃げてみよう」みたいな考え方をするようになりました。私は今回の日記で皆さんにこれだけは知って欲しい!ということが一つあるのです。それは、あらゆる出来事も問題も、「見方や考え方を少し変えることでプラスにもマイナスにも大きく変化する」ということです。どんな出来事や問題にも必ず「側面」が存在します。要は一面だけを見るのではなくて様々な角度から見ることに取り組んでみて欲しいのです。
留学ってまさに日常が学びそのものです。その瞬間瞬間が、自分の人生に欠かせない一つのパーツのように愛おしく思えます。少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、いま私が実感していることを正確に表現していると思います。③・④の2回を通して「The カルチャーショック」についてお伝えしましたが、どうだったでしょうか。留学を考えている人や海外に興味がある学生をはじめ、いろんな方にぜひ読んでいただきたいです。⑤では語学面のことについて伝えていきたいと考えています。これはタイに来て三週間が過ぎた頃の話です。 ⑤へつづく・・・
タイのプロサッカークラブBGFC(BGパトゥム・ユナイテッドFC)のコーチによるトレーニングに参加した時の様子。牧野さんは写真右側の6番。