早いもので留学生活も5ヶ月が過ぎ、少しずつではありますがタイ語ができるようになってきたと感じた私は、自分がやりたい勉強に挑戦しようと思い、農村部にあるカセイパタナ中学校へ視察に向かいました。約二週間その地域に滞在しながら、日本語を学生に教えたり、学生の家に家庭訪問したりと、いろいろな活動に参加してきました。多くの子どもたちと触れ合いながら、彼らがどのような環境下で育ち、どのような教育を受け、現在どのような想いを持って毎日を過ごしているのかを聞くことができました。彼らの話を聞いて私が感じたことは、私自身が本当に恵まれた環境の中で生きてきたということです。当たり前のように両親が家にいて、お腹が減ればご飯を食べることができ、毎日学校に通うことができる。服が小さくなれば新しい服を買ってもらい、毎日綺麗な洋服を着る。何の心配もなく大学へ進学し、やりたかった留学まですることができている。自分が恵まれていることなんて理解しているつもりでしたが、実際は何も理解していなかったのです。
平日のある日、朝ごはんを買うために中学校の近くにあるマーケットへ買い物に行きました。そこには多くの店があるのですが、いくつかの店に子どもたちがいたのですよね。彼らは朝からそのマーケットで食べ物を売っていました。私が彼らを見かけたのは平日の朝8時を過ぎた頃になります。当然ですが、学校に行っていない彼らを私は不思議に思い「今日は学校へ行かないの?」と質問をしたのですね。すると彼らは当然のように「学校には行かない。働くから」と答えるわけです。私はこの時に、衝撃というか、ショックというか、言葉には表せない気持ちを味わいました。私にとっての当たり前は、彼らにとっての当たり前ではない。何が当たり前でしょうか。彼らにとっては学校へ毎日通うことではなく、働いてお金を稼ぐことが日常なのです。
私は、日本に住む皆さん、このレポートを読んでくれている皆さんに、この現状について少しでも知ってほしい、何か彼らの手助けをしてほしいとお願いしているわけではありません。今、大学に通えていること、勉強ができていること、部活動ができているその環境に感謝することを忘れないでほしい。もちろんこれは、私にも言えることだと思います。留学生活も残り少なくなってきましたが、どんな時でも留学できていること、この国でやりたい学びができていることに感謝しなければならないと強く感じています。
子どもたちには簡単な日本語の授業もしたのですが、それがそれが本当に楽しくて、今でも思い出すと子どもたちに会いに行きたくなります。みんな楽しそうに授業を受けてくれて、教えている自分も幸せでした。それと同時に、タイ語を使いながら日本語を教えることができている自分にも驚きました。もちろんまだまだ完璧とは言い難いですし、発音も綺麗ではありません。しかし、自分が思っている以上にできるようになっている部分もあるなと感じることができました。タイへ来た当時は言語の壁にぶち当たり、何度も心が折れそうになりましたが、そうやって必死にぶつかってきた結果が今につながっていると思うと、頑張ってよかったなと思いますよね。ただ現状に満足するのではなく、「できていないこと」に焦点を向けて、残りの留学生活も頑張っていけたらいいなと思っています。