さる10月20日(金)、神戸大学の人文学研究科にてワークショップが開催されました。
タイトルは「2023年度 第1回 文化交渉学ワークショップ 亡命社会学者と越境移動の経験」。
本学からは吉野浩司先生と吉田耕平先生が招かれてお話をしました(神戸大学のページ)。
今の時代は、国と国の「境界」を超えていくような移動を経験することは珍しくありません。
しかし、それが政治的な体制転換にともなう「亡命」であればどうでしょうか。
想像もつかないような苦難と、必死の奮闘が待ち受けているはずです。
こうしたテーマについて活発なディスカッションをおこないました。
写真1:ワークショップのパンフレット
ひとつめのお話は「P. A. ソローキンと移動」(吉野先生)。
これまで研究されてきたピティリム・A・ソローキンという社会学者のことを話されました。
ロシアの北方地域の貧しい家庭に生まれたソローキン氏。かれはどのようにして大都会のサンプトペテルブルクへ移っていったのか。
そして、いわゆる「十月革命」後のソヴィエト連邦形成のなか、どのようにしてチェコスロヴァキア、そしてアメリカへと渡っていったのか。
その道のりを通じて、独自の社会学が形成された過程を解説しました。
写真2:吉野先生
写真3:発表資料(一部)
次のお話は、「白色ロシアと自由の国アメリカを結ぶもの」(吉田先生)。
吉野先生との共同研究を通じて明らかになったニコライ・C・ティマシェフという人物について紹介しました。
サンクトペテルブルクで生まれ育ち、法学者となったティマシェフ氏。しかし、やはりソヴィエト連邦の形成過程において、命の危機に置かれます。
そこでティマシェフは、フィンランド、ドイツ、チェコスロヴァキア、フランスを経て、アメリカにわたって身を立てました。
これをつうじて、法学だけでなく社会学の研究を深めていったところに特徴がありました。
写真4:吉田先生
写真5:発表資料(一部)
神戸大学では、かねてより研究交流および共同研究をしている梅村麦生先生の司会のもと、先生方および大学院生から様々な質問をいただきました。
家族研究をされている平井晶子先生からは、「ソローキンが研究した「愛」とは何だったのか」との質問。
大学院生からも、「ソローキンの言っていた文化というのは、社会の一要素なんてものじゃないですよね」「ソローキンにとっての「科学」とは」などなど、興味深い質問がたくさん。
ロシアに限らず、ヨーロッパ各地からアメリカに渡った知識人たちを念頭に「そういった出自をどのていど自分からアピールしたのでしょうか」という質問も。いろいろと考えさせられる機会となりました。
ワークショップを開催し、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
写真6:梅村先生
写真7:平井先生
(写真について)
本記事の人物写真は主催者側で撮影したもの。本学のHPおよびSNSでの掲載をご承諾いただき、提供いただきました。