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経済政策学科

【PBL切り抜き】1945年の資料はどこに?/原爆資料館ツアー(2)

  • 2024.02.28
  • 経済政策学科

 今年の2月13日(火)、「災禍にいどむデータ解析」 の授業では長崎県原爆資料館を訪問。この年度では2度目のツアーとなりました。前回の訪問では、戦略爆撃調査団レポートの英語版と日本語版(翻訳書)が違っていることが分かりました。それはいったい何なのか。その謎を解くのが今回の目的でした。その結果、意外な事実に辿り着きます。歴史と科学の奥深い一面に触れる機会となりました。

 

 

資料の内容を確認する一行

 

 太平洋戦争に関する戦略爆撃調査団のレポートは、第1報告から第108報告までの膨大な量となります。日本ではそれらを50冊に集約して、英文で復刻されています(1992年、図書センター刊)。ここには長崎原爆の影響を詳述する5つの章が含まれているため、この部分だけを翻訳した版が出版されています(1996年、長崎国際文化会館)。ところが、この翻訳版は原文に存在しない記述や写真を多く含んでいるのです(前回のツアー時に判明)。なかでも「第5報告」の翻訳版にある60ページから258ページまでの資料は全く原文に見当たりません。

 これらはいったいどこから来たのでしょうか? 調べたところ、「長崎国際文化会館」の業務は現在「長崎平和資料館」に引き継がれています。そこで平和資料館に問い合わせてみると、「長崎国際文化会館」が1974年6月に渡米調査をおこなったこと、そしてその際に戦略爆撃調査団のレポート本体のほか、様々な複写物を持ち帰ったことが分かりました。そこで、2月9日(金)の予備調査と2月13日(火)の本調査を通じてそれらの複写物を閲覧することになったのです。

 

長崎原爆資料館

原爆資料館の一部屋にて

 

 

長崎新聞1974

『長崎新聞』1974年3月3日、5月16日

 

 2月9日(金)の予備調査は教員だけで実施しました。すると、「第5報告」の複写物は冊子に綴じられており、日本語版の60ページから132ページまでに相当する内容がその中に含まれいました(英語版には含まれていない内容を一緒に綴じたもの)。また、同じ冊子に綴じられているわけではありませんが、141ページから146ページの内容は別の資料箱の中から見つかりました。

 2月13日(金)は、いよいよ学生たちで本調査を実施しました。平和資料館が持ち帰った戦略爆撃調査団の資料箱を、くまなく調べていったのです。対象としたのは翻訳書になった第3、第5、第13、第59、第60、第93報告です。しかし、やはり(先述の141ページから146ページを別として)133ページから258ページまでの部分は見つかりませんでした。これらの元となった英文の資料はついに確認できなかったのです。

 

 

資料箱から収蔵資料を取り出す

 

1974年に持ち帰った「第5報告」の複写物

 

冊子の内容を確認していく

 

 その後はヒバクシャ・コミュニティセンターに移り、調査の結果を振り返りました。長崎市の人たちが1974年に持ち帰った複写物は、英語版には見られない資料を含んでいます。そこには原爆投下直後の放射線量データ等を記した資料が含まれているため、たいへん貴重な内容です。残念ながら、その現物を見ることは実現しなかったのです。

 しかし、ここから学んだことは少なくなりません。第一に、アメリカのナショナルアーカイブズ(国立公文書館)には、当時の貴重資料が保有されていること。第二に、長崎市がみずから訪米して複写物を持ち帰ったおかげで、それが現代にも継承されていること。第三に、これら放射線量等の資料は、日本の学者たちによって書かれていること。自ら資料にあたることで、これらの学びを得たことは大きな成果でした。

 

ヒバクシャ・コミュニティ・センターでの振り返り

 

閲覧内容の記録を読み返す

 

<後日談>

 その後、学芸員さんのアドバイスによってその謎の一部が解明されました。「第5報告」の翻訳文書にある221ページから239ページの内容は、ごく一部ですが、日本学術会議の調査報告書に記載されていたのです。それらの内容は、米国の指示等によって日本の物理学者らが実施した調査だと思われます。戦略爆撃調査団は、その当初資料を米国に持ち帰ったのですが、その後、日本の研究者が続けて実施した調査・分析のレポートが日本学術会議の報告書に含まれているのです。

 これによって、戦略爆撃調査団だけでなく日本学術会議の調査・分析にも目を向けることが可能となりました。戦略爆撃調査団は、放射能はおろか人体への影響についても記していないのですが、日本学術会議の報告書は理化学編、生物編、そして医学編を広く含んでいるため、原爆被害を受けた側にとって必要な知識を幅広く含んでいます。ただし、生存者たちの健康リスクや、その認知および不安の実態、そして避難と救護の諸相やその後の生活については研究されていません。

 なお、日本学術会議の報告書は2011年の福島原発事故を機として復刻されました。日本の人文社会科学は、これらの蓄積から学びながらも、それが福島原発事故の被害者にとって力となるような内容であるか、吟味しなければなりません。そうした反省と教訓を引き出すためにも、世界で初めに行われた原爆調査の内容を知ることは重要だと言えるでしょう。

 

日本学術会議の報告書(2011年の復刊版)

 

 この授業「災禍にいどむデータ解析」は、フィールドに出ながら災害データの重要性を学ぶ授業です。このような「PBL」すなわちプロブレム・ベイスト・ラーニング(問題解決型)の授業は、現在の世界が抱えている問題をきちんと見据えて、自分たちのアクションを考えるきっかけとなります。世界には人々の生活を苦しめる未解決の問題がたくさんありますが、それらの問題に正面から挑むことの意義と手ごたえを感じてもらえればと思います。

 

付記

長崎新聞社の許諾を得て紙面を掲載

米国連邦議会図書館の確認を経て戦略爆撃調査団報告書を掲載(パブリック・ドメイン)

 

【PBL切り抜き】〝ナガサキ〟最初期レポートの謎を追う/長崎原爆資料館ツアー