みなさんは、ロシアといえばどのような風土や文化を思い浮かべますか?
11月9日、「社会学の基礎」という授業に、モスクワで教鞭をとるサヤナ・ミトゥポヴァ先生がご登壇 (とうだん) 。
日本には知られていない社会のあり方、そしてその国において起こった社会学史の一コマについて教わりました。
写真1:ミトゥポヴァ先生と学生のやりとり
まず先生が話されたのは、ご自身のご出身と、そこに伝わる独自の文化についてです。
モスクワから来られた先生、と聞くとモスクワの生まれ育ちなのだろうと想像されるかもしれません。
しかし先生は、ロシアのなかでもアジア地域に属する部分、どちらかといえば日本に近いところで生まれ育ったのだそうです。
その地方の名は、ブリヤチヤといいます。自治制度上はブリヤート共和国というひとつの国だといいます(注:ロシア連邦共和国は、多くの共和国から成り立っています)。
そして、ブリヤチヤに多く暮らすのはブリヤート族というモンゴル系の民族のみなさん。その文化には、日本の私たちも懐かしく感じるような衣装や食べ物が多くあります(写真2)。
近代化の過程、とくに社会主義の歴史においては、こうした民族文化の継承が困難だったといいます。しかし、現在はその再評価と継承が進んでいるそうです。
このように、ロシアという国はじつに色とりどりの文化から成り立っているというのが最初のお話しでした。
写真2:ブリヤートの食べ物
写真3:教室の様子
続いてお話しがあったのは、そんな色とりどりの国、ロシアにおいてはどのような「社会学」がみられたのか、ということでした(写真4)。
ロシアにおける学問の歴史を語るうえでは、ソヴィエト連邦が誕生する前と、その後のあいだに生じた違いが重要です。
ミトゥポヴァ先生によると、ソヴィエト連邦が誕生する前にはすでにロシアにも社会学の研究がたくさん生みだされていました。
ソヴィエト連邦が誕生した後は、最初こそ、社会学の研究者が集まって学問を盛り立てたのですが、だんだんとそれが認められなくなっていきました。
そして、ついには各大学の中から「社会学」の授業がなくなったそうです。それにかわって、マルクス・レーニン主義にもとづく政治学の授業が設けられたのです(写真5)。
そうした話をもとに、学生からの質問をうけながら、吉野先生との対談をおこないました(写真6)。
このたび、たいへん貴重な授業をしてくださったミトゥポヴァ先生に感謝いたします。
写真4:ソ連時代における社会学の歴史
写真5:ソ連時代の社会学について
写真6:質疑応答および対談の様子